甘い薔薇の匂いが充満する部屋に咽びそうだった。 

でも息苦しいのはきっと其の匂いだけのせいじゃない。


「あらあら、まだ落ち込んでいるのぉ?」
「…」

事の元凶である彼女にこの苛立ちをぶつけたくても其れはただの八つ当たりだと充分に解っているだけに益々気持ちは奥底へと堕ちて行く。


会社が冬休みに入ってから其の殆どの日をリリ様の所有するマンションに身を置いていた。

特に何をする訳でもなく、ただ自堕落にリリ様の性のはけ口になる日々。


「先刻朝恵ちゃんからメールが来てたわよ」
「え!」

『朝恵ちゃん』という固有名詞に意識が浮上する。

「あの時のお礼がしたいから是非家に来てください──だって」
「…嘘」
「嘘じゃないわよ。其の内俊樹の処にも連絡が来るんじゃないかしら」
「…」

あの時のお礼──

「そんなの…行ける訳がない」


あの時…あのクリスマスイブの結婚式の日。

僕は我を忘れて朝恵ちゃんを襲った。

リリ様から朝恵ちゃんが紗夜里の生まれ変わりだと教えられた途端正しい思考を保つ事が出来なくなった。

「紗夜里の生まれ変わりじゃなくて正しくはアルミサエルの魂を持った生まれ変わりよ」
「…」
「なぁに、其の目」
「すみません、今、ひとり反省中なので横からいちいちチャチャをいれないでください」
「チャチャじゃないわ。正しい事実を訂正してあげたんじゃないの」
「…」
「つまりはそういう事なのよ。魂は初めからアルミサエルのもの。ただ人間の器として最初が紗夜里で次が朝恵ちゃんだというだけの話」
「…」
「魂は同じかもしれないけれど、其れ以外は全く似て非なるものよ。よく考えなさい。あなた、朝恵ちゃんをただの女として抱く事が出来るの?」
「…」
「実の息子の、其れこそあなたと紗夜里の子どもである夜宵の女をあなたは他の人間の女と同じ様に抱けるというの?」
「…其れは」
「あの時、例え朝恵ちゃんが悪阻で吐かなかったとしてもあなたはきっと朝恵ちゃんを抱けなかったでしょうね」
「!」
「わたしはね、本当は其れが見たかったのよ。最終的には悩んで苦しんで寸での処で行為を止める俊樹ののたうち回る無様な姿が」
「……本当に…いい趣味をしていますね、リリ様」
「わたし、愉しい事をするのも見るのも大好きなの。其れにわたしを愉しませてくれる俊樹や夜宵、其れから朝恵ちゃんも大好きなのよ」
「…」

(あぁ…本当敵わない)

長い付き合いでこういう人だという事はもう充分に解っているのに…

「其れにこれはもう何度も云っているけれど、俊樹は何も悔やむ事はないわ。あの日あった事の記憶は綺麗さっぱり改ざんしてある。朝恵ちゃんは俊樹にされた事は全く覚えていないし、朝恵ちゃんが覚えていないという事は夜宵にも解らない」
「其の点に関しては本当…感謝しています」
「ふふっ、アフターフォローも完璧!わたしって出来る女よね~本当」
「…種を蒔いて刈り取るまでがリリ様──ですよね」
「何、其の例え」

そう、覚えていない──という事実が唯一の救いだった。

あの時僕は余りにも気が動転してしまって朝恵ちゃんの記憶を操作する事を忘れてしまっていた。

苦しむ朝恵ちゃんに何も出来ないまま狼狽えていた処にリリ様が現れ僕を救ってくれたのだ。

「…はぁ、まだまだ青いな、僕は」
「そう簡単に熟されても困るけれどね」
「──あ」

バスローブを脱ぎ、大きなベッドの上で其の見事な裸体を晒すリリ様が僕を手招きする。

「俊樹──あなたはまだ紗夜里の事を忘れられないの?」
「…」
「一途なインキュバスというのは少し問題があるけれど…でも夜宵みたいな例外があるというのを今回知った事はわたしにとっても面白い事だったわ」
「…」
「朝恵ちゃんはきっと沢山の子どもを生むでしょうね。なんてったってあの子宮の天使の魂を持っているんですもの」
「…でもまた…紗夜里の時の様に子どもを生んだ途端其の生を神に奪われるのでは」
「其れはないと思うわ。天界神も同じ過ちは繰り返さない。万が一天界神が朝恵ちゃんと夜宵の結婚を認めていなかったら子どもは授からなかったはずよ」
「!」
「つまり俊樹──あなたと夜宵とでは同じインキュバスでも格が違うって事じゃないのかしら」
「ははっ、確かに夜宵は僕と違ってただの低級悪魔とは違いますからね。半分は天使の魂を持った人間…紗夜里の血を引いている訳ですから」
「だから天界神も見たくなったんじゃないかしら。そんな特殊な人間同士が交わって出来る子どもがどう成長して行くのか」
「…」
「わたしの目論見通りの展開になって本当面白いったらありゃしないわ」

あははと甲高い笑い声をあげながらリリ様はベッドに乗った僕の服を脱がして行く。

「はぁ…俊樹…あなたまた人間との間に子どもを作りなさいよ」
「…」
「わたし、知っているのよ。あなた、紗夜里との事があってから襲っている女に精を流し込んでいないでしょう?」
「…」
「子どもが出来ない様に…わざとしているって」
「…お仕置きしますか?」
「……」
「インキュバスとして失格の僕を──殺す様に甚振ってそんな事でも愉しんでみますか」
「…ふふっ、其の気ならとっくにしているわ」
「っ!」

項垂れている僕のモノにしゃぶりつきベチャペチャと口の中で転がしながら話し続けるリリ様。

「あなたはわたしの一番のお気に入りなの。あなたが好き勝手したってわたしを愉しませてくれる限りどんな事だって容認してあげるわよ」
「う…っ、はぁ…」
「ん…可愛い俊樹。あなたがわたしの従順な下僕である限り夜宵も朝恵ちゃんも──そしてふたりの間に生まれてくるだろうあなたの孫たちもみぃーんなわたしが護ってあげるわよ」
「……」


今更なんだって云うんだ。


もうずっと僕はこうやって生きて来たじゃないか。


其れを今になって何をナーバスになっているんだか──


「俊樹?」
「──リリ様、今夜は僕に主導権を握らせて下さい」
「ふふっ、やっといつものあなたに戻った。いいわよ、わたしをうんと快楽の底に引きずり込んで頂戴」
「仰せのままに」

体を起こしリリ様を押し倒して其の身に跨る。

全ての悪魔族の頂点に立つ王の妻であるリリ様を抱くという身に余る光栄に打ち震えていた頃の事を思い出すと少しだけ紗夜里と出逢った時の甘酸っぱい気持ちに似ているなと思った。


(紗夜里、僕は僕のやり方で夜宵を護って行くよ)


其れを最後に僕は本当の意味で紗夜里と決別したのだった。


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